PROFILE

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NSP〜2008年ソロへ

1969年国立一関工業高等専門学校(高専)在学中に中村、平賀が天野を誘い、学園祭用の先輩のバンドに参加する。そのバンドBLACK5は、先輩2人(ドラムスとキーボード)、中村(Eギター)、平賀(Eベース)、そして天野(Eギター)の5人編成だった。学祭終了後、BLACK5は解散。中村は5人編成(女性ボーカル2人+男3人)のフォークグループ結成。天野、平賀は地元のロックバンドを経て3ピースのロックバンド、サディスティック・ピンク結成。

1972年各々のバンドが解散。中村(ドラムス、ボーカル)平賀(Eベース)天野(Eギター)の3人が再び結集、ニュー・サディスティック・ピンクと名乗る。レパートリーはカバー曲の他、英語詞のロック・オリジナルもあった。ドラムスの中村が曲によってはアコースティック・ギターに持ち替えて、吉田拓郎などのコピーを演奏。これが好評。さっそく、フォークのオリジナルも作る。オーディオ好きの先輩や友達の手を借りて作ったデモテープ「あせ」が岩手のNHKのFMリクエストアワーで取り上げられ、リクエストが殺到し11週間連続1位に。3人は一躍地元の有名人になる。そしてこの年の冬、第5回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)岩手大会に「あせ」で入賞。

1973年ポプコン東北大会、本選大会へと出場し、ニッポン放送賞など受賞。6月25日「さようなら」でレコードデビュー。五年生在学中という事もあって活動は夏休み等が中心であった。

1974年高専を卒業と同時に本格的に音楽活動をするために上京。4作目のシングル「夕暮れ時はさびしそう」35万枚のヒット。アルバムNSP・「ひとやすみ」はヒットチャートの3位に。超多忙になったメンバー達は3人あわせて30キロも体重が減った。暮れに東京で初のワンマンコンサート。

1975年アルバム「おいろなおし」「2年目の扉」立続けにリリース。両アルバムともチャート10位以内をキープ。初の全国縦断コンサートツアーを開始する。

1976年「赤い糸の伝説」がスマッシュヒット。アルバム「シャツのほころび涙のかけら」リリース。天野、オールナイトニッポン第2部のDJ開始。また、ソロアルバムも制作する。

1977年「弥生つめたい風」がヒット。特に九州などではチャートの1位になるところも。天野、初のエッセイ集「歳時記」発売。アルバム総売上100万枚突破。御褒美にみんなでヨーロッパへ観光旅行に行く。

1978年「八十八夜」静岡などでスマッシュヒット。アルバムは常にトップ10へ突入。初のベストアルバム「青春のかけら達」を2枚組でリリース。

1979年デビュー7年目を記念して「NSPと7回乾杯をする会」開催。NSP新解釈ゲームで「ねこ、さる、ぺんぎん」が優勝。天野、風邪をこじらせ肺炎で入院。

1980年天野、クリスタルキングの「蜃気楼」「処女航海」を作詞。またエッセイ集「見上げれば雲か」出版。8月2日大雨の中、田園コロシアム野外コンサート決行。

1981年デビューからの原盤ディレクター萩原氏から日朝氏へ交代したのをきっかけにNSPのサウンドに変化。賛否両論飛び交う。問題作「The WIND`S SONG」リリース。

1982年東北新幹線やまびこイメージソング「めぐり逢いはすべてを越えて」リリース。天野、石川ひとみに「ひとりじめ」「君は輝いて天使にみえた」提供。映画「遠野物語」テーマ曲、平賀がボーカルをとることに。

1983年中村ソロコンサート。天野、堀ちえみの「夕暮れ気分」作曲。横山みゆきをプロデュース。

1984年平賀、TARAKOをプロデュース。メンバーはそれぞれ活動をしつつ、NSPとしてもセルフプロデュースでアルバムを制作。

1985年コンサートツアー「FLYTO THE MOON」を最後にソロ活動を目指して中村脱退。

1986年 天野と平賀に新メンバーを2人加え、4人組のNSPとしてスタート。NSPオフィス設立。結果的にラストアルバムとなった「アポカリプス」リリース。NSPはデビューからこの年までに、シングル通算28枚、アルバムは通算21枚(ベスト2枚を含む)をリリースし、アルバム売り上げ合計は当時では破格の300万枚を超えた。年平均7、80本のコンサート・ツアー中心の活動を頑なに守り、当時のNSPはテレビ等のマスメディアに登場せず、その素晴らしさを「クチコミ」で伝えたグループ、いわば「知る人ぞ知る」といった存在でもあった。

1987年平賀脱退を期に事実上NSP自然消滅。その後、平賀はポニーキャニオンのディレクターとして活躍。平松愛理、ゴーバンズなどのヒットを出す。

1988年天野ソロ活動開始。シングル「VISITOR」アルバム「BECAUSE OF YOU」リリース。五反田簡易保険ホールでソロコンサート。

1990年 草月ホールで天野ソロコンサート。その後、天野は作詞作曲及びプロデューサーへ。

1997年12月24日 NSP時代にお世話になった、IBC岩手放送北口氏の追悼ライブを岩手で決行。オリジナルメンバーでは1回限りのつもりだった。

2000年平賀の企画で通販限定の5枚組CD+ビデオ「NSPスペシャル~僕らを変えた季節たち~」発売。3枚組CD「NSPシングルコレクション」には天野未発表曲や天野による「NSPのANOTHER STORY」も含まれる。通信販売ではかなりの好成績10.000セットを超え、思わぬヒットとなる。

2001年7枚組CDセット、NSPライブ・ボックス「ライブはごきげん!」発売。

2002年16年ぶりにオリジナルメンバーで復活。1月23日にセルフカバー・アルバム「p.s.NSP」をリリース。1月26日・日本青年館大ホールと2月3日・大阪厚生年金会館大ホールでコンサートを行い、チケットは即日完売!大成功をおさめ、再結成を待ち望んだファンの前に、復活をアピールした。このコンサート模様を収めた「NSP復活コンサート!!」のCDを10月に、DVDを12月にリリース。また、秋からコンサートツアー開始。12月22日には、品川プリンスホテルのメインバンケットホールにて、デビュー以来初めてのクリスマスディナーコンサートを行う。

2003年記念すべきデビュー30周年。4月16日「NSPベストコレクション1973~1986」をリリース。4月17日東京・北とぴあ つつじホールよりコンサートツアー「NSPコンサート 30(-16)th anniversary」をスタート!!8月には、復活後初めての「ファンクラブの集い」を東京六本木オリベホールで行う。予想以上に参加希望ハガキが多かった為、泣く泣く抽選にする。

2004年1976年10月25日にリリースされた天野滋ソロアルバム「あまのしげる」が3/31にCDとして復活。春夏ツアーは復活後最多の17ケ所に。ニューシングル、アルバムのレコーディング開始。秋のツアーが9月20日から始まる。12月25日には、恒例になった品川プリンスホテルメインバンケットホールにてクリスマスディナーコンサートを行う。

2005年遂に、1986年以来19年ぶりの新しいシングル「水のせいだったんです」と、アルバム「Radio Days」が2月2日に同時発売。3月12日、渋谷公会堂にて「CD発売記念コンサート」を行う。しかしそれが、NSP3人揃っての最後のステージとなってしまう。
7月1日天野滋、大腸癌の治療中、脳内出血のため死去、享年52。
9月7日品川プリンスホテルクラブXにて、業界関係者を集め「天野滋を送る会」が行われる。

2006年 3月18日品川ステラボールを皮切りに全国で「N.S.P FILM TOUR 2006 as… めぐり逢いはすべてを越えて」始まる。最終日7月1日の一関文化センターでは、フィルムの終わった後、サプライズで中村・平賀をはじめ、ラストライブと同じサポートメンバー・ステージスタッフが集まり、録音された故天野のギターと歌、そして映像に合わせて3曲演奏。

2007年天野滋3回忌にあたる7月1日、東京厚生年金会館に於いて、「NSP LIVE 2007 SONGS〜歌は世につれ〜天野滋トリビュート」が南こうせつ・char・細坪 基佳・高橋ジョージ・鈴木康博・林龍之介(平川地一丁目)をゲストに迎えて行われる。

2008年 中村貴之 1月26日NSP復活の日に原宿よりソロ活動開始。NSP時代を含め初のライブハウスツアー全国26本を行う。6月21日ファーストアルバム「Close Your Eyes 〜僕の声が聴こえてますか〜」リリース。

2009年4月4日日本青年館にてソロ初のバンドでのライブを行う。
4月22日 2008年のライブを収録したライブアルバム「まだまだやるよ」をリリース。
9月5日  全国ツアー開始と同時に日本青年館で収録したライブDVD「STEP BY STEP」をライブ会場及びHPにて販売。

2010年8月1日 全国ツアー(全10本)スタート 同時に2009年のツアーを収録したライブアルバム「STEP BY STEP」をライブ会場にて販売。

2011年5月 スリーハンサムズ結成 平賀和人(NSP) 中村貴之(NSP) 細坪基佳(元ふきのとう) 花巻市民会館での公演を皮切りに精力的に全国ツアーを行う。
10月8日 全国ツアー(全11本)スタート。

2012年スリーハンサムズ公演と平行してソロライブを全国で展開中。
9月1日 2011年のライブを収録したライブアルバム「BESIDE YOU」をリリース予定(ライブ会場及びHP通販限定)。