CMや、バライティ番組で長くに渡って活躍中のアンミカさん。
通販番組でもスポット的にテレビで見かけます。
そんなアンミカさんですが、関西弁を話し、名前が漢字でもなければ、キレイな外見ではあるものの年齢も不詳。
ネットでは『何者?』『スパイ?』…と、さまざまな疑問がある人続出です!
今回はアンミカさんについて迫って行こうと思いますので、ぜひ最後までお付き合い下さい!
韓国出身モデル、アンミカって何者?

まずはアンミカさんの生まれ、育ちなどから気になる人も多いのではないでしょうか。
長崎県五島からもわずかな距離で行ける韓国の済州島。
済州島(チェジュ島)の詳しい地区までは公表されていませんでしたが、韓国の観光地では首都ソウルと同じくらい代表的な観光地です。

アンミカ(安美佳)さんは韓国・済州島(チェジュ島)に生まれ、5人兄弟の次女で兄、姉、弟、妹がいます。
公式に出ている情報としては『どのように、いつ日本へ来た』公式の情報は現在でていません。
イメージもあり、本人や事務所の意向で開示したくないのかも知れませんね。

名前 アンミカ(安美佳)
出身地 韓国・済州島
生年月日 1972年 3月25日
身長174センチ 体重非公開
既婚
【ジャンル】 モデル・タレント・ジュエリーデザイナー・ファッションプロデューサー・化粧品プロデューサー・女優・歌手
日本での生活が極貧のエピソードが公表されています。
育ちは大阪市生野区・阿倍野区なので、関西弁を話すのは納得です。
アンミカさんが育ったのは他人の住む長屋の2階部分だったらしいのです。
広さは6畳あるかないかの、わずかな空間で両親と兄弟の合計7人で暮らしていたそうです。
極貧の幼少期には、口元にケガを負った事がコンプレックスになり、ふさぎ込んでしまった時期もあったのだそう。

少し古い写真なので鮮明ではないのですが、口元にケガの痕らしきものがあるようにもみえます。
住んでいた長屋の家主が留守の間に風呂にササッと入るような生活だったそうです。
もちろんトイレ、玄関は共同で、現在の2世帯住宅のような家でありません。
家は2度にわたって家事で全焼した経験があるそうです。
ウィキペディアには『実家が』と記載されていましたが、韓国の家なのか、大阪での家なのかは定かではありませんが、恐らく日本に来た頃の話でしょう。
食べるものも苦労したとの事で、まるで物乞いのような経験をしたそうです。
例えば夜中の3時にリュックを担いでビニール袋を持って3駅分ほど歩き、子供たちだけで成果市場へ行きます。すると朝の市場で売れ残った果物や傷んでいる品物を市場の人達が恵んでくれたのだと言います。しかし、スイカは痛むのが早く、恵んでくれなかった為、スイカを食べる事が夢だったとの事。1度だけ親戚がスイカを恵んでくれた事があるそうで、食べる機会があったらしく、その時の味が忘れられず両親にスイカをねだった事があるそうです。すると取っておいたスイカの種をとりだしてしゃぶるとスイカの味がするからと、我慢していた経験があります。
【引用:messyより】


アンミカさんの母親は美容部員として働いていたらしく、アンミカさんがモデルになったキッカケが母親の言葉だったそうです。
今でこそ高身長でプロポーションが良いアンミカさんですが、幼い頃は階段から落ちて大けがを負ったコンプレックスと、ぽっちゃりとしていた体重で前向きになれない時期があったそうです。
しかし母親からは『手足が長いからモデルさんになれるかも!』といつも励まされていたとの事です。

父親が始めた居酒屋も失敗して、出稼ぎに出ていたとの情報もあります。
一方で、アンミカさんが学生の頃に入退院をくりかえしていた母親がガンで亡くなり、兄弟たちと力を合わせて家計を助けたとの事です。
新聞配達、パン屋のバイトをして高校に入り在学中にモデル事務所の登録をして活動のきっかけをスタートさせた事になります。

中学の頃から体育会系で、小学生の頃はキックベースのキャプテンを務め、中高校生の頃は陸上、社会人ではバスケを経験し、特にバスケは楽しかったそうです。
中学生の頃から母親の言葉を忘れられなかったのでしょう。
モデルになりたいと強く思っていたそうで、高校生の頃にはモデル事務所に何十回も書類を送っていたそうです。
しかし結果は不採用続き…
モデル事務所に直談判に行った所、面接してくれた事務所の社長から『また遊びにきていいよ!』の言葉を真に受けて通ったのち、たまたまオーディションに欠員が出たところでギリギリ入ったそうです。

結局、高校生の頃にモデルとして芽が出なかったアンミカさん。
卒業後は父親の希望する『大学へ進学』か、アンミカさんの希望する『モデル活動』をするかで意見が分かれます。
父親からしたら、仕事をしながらたまにモデルをやるような中途半端な状態を他の兄弟たちに見習ってほしくない想いがあったのでしょうか。

モデルを続けるのであれば一人でお金と世間の厳しさを知って、一流モデルになるまでは帰らない事を条件に家を出たそうです。
その後、93年の20歳の頃にパリコレ初参加を経験して、現在の活躍ぶりにつながります。
アンミカと、スパイ・北朝鮮との関係は!


アンミカの元カレが国際的なスパイだった!
20歳でパリコレデビューをはたしたアンミカさん。
2013年に結婚しましたが、それまでに付き合った彼氏が『スパイ』だったと言うのです。
決してアンミカさんがスパイと言う話ではありません。
34歳~36歳までの結婚適齢期の時期につき合った貿易関係で働く彼氏。
その彼氏に1,000万円をだまし取られた。
暗殺されかけた。
と、これだけでも仰天エピソードです!

暗殺されかけた人初めて会いましたよ!殺されかけてるんですもんね?
では何故スパイはアンミカさんに近づいたのでしょうか。
番組内でスパイ事情に詳しい東京工科大学の落合教授は次のように話しています。
- アンミカさんと一緒にいる事で周りに信頼・安心される
- アンミカさんをステップにして第三者に近づき、その第三者が標的だった。(政府関係者、財界人、科学者など)


と、番組は『こんな特徴があればスパイ確定!』と題して、アンミカさんがスパイの元カレとのエピソードを話します。
安心してください!
アンミカさんは現在スパイとは何にも関係ない上に、現在は幸せに暮らしています。
実在するスパイ組織


世界各国にスパイは実在しています。
スパイと言っても『ミッションインポッシブル』のように街中で派手なカーチェイスを繰り広げたり、バンバンと銃を撃ったりする訳ではありません。
実際は実に地味な活動らしいです。
『JAPAN PI』に韓国の情報機関はありますが、北朝鮮の情報機関はありません。
しかし、各国に情報機関はあるので、北朝鮮にもあって、何ら不思議ではありません。
現在2023年、世の中の情報はさまざまな所から得る事ができます。
- テレビ、新聞、ラジオなどの大手メディア
- ツイッターなどのSNS
- 書籍
- 実際に見てみる
資本主義国は、大手メディアで自分の不都合な事実を全ていうでしょうか?
社会主義国は、自分の不都合な事実の情報を表に出すでしょうか?
さまざまな国家、資本家たちが昔からスパイ活動や情報活動を行っている歴史事実の延長上に私たちは生かされていると言っても過言ではありません。
少し身近な話をしましょう。
我が国、日本でも『先の大戦』後、A級戦犯であった2022年に亡くなった『安倍晋三/元首相』の祖父である『岸信介』でも知る事が出来ます。


岸信介は『児玉誉士夫』らと共に『米国CIA(中央情報局)のエージェント』として活動している史実があります。
戦後、GHQが日本の混乱期をおさめ『民主化』をすすめ、日本の軍国主義、教育の弱体化を図り現在にいたります。
『民主化』と言うと『当たり前では?』と、思うかも知れません。
しかし、統治する側から考えると戦争が強い国の独裁者をなくし、国民主権である民主化にする事で、国民の目に監視させる。
戦闘力を徹底的にそいで、弱体化する事ができるのです。
このあたりの内容は言葉をえらび、センシティブな内容になりますので、ここまでにします。
スパイの話をするのであれば、現在も私たちの知りえない所でその活動はひっそりと、確実に行われているのが現実です。
最後に
いかがでしたでしょうか。
今回はアンミカさんは何者なのか、スパイと関係があるのかを調べてみました。
アンミカさんは幼少期に苦労したが、努力の末に仕事も順調で、現在は幸せに暮らしている事が分かりました。
また、スパイに関しても、元カレがスパイでアンミカさんは不安な経験をしましたが、別れる事ができました。
50歳をこえてもキレイなアンミカさん、今後もご活躍を祈りつつ、今回はここまでです。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
コメント