kanは愛は勝つ以降どんな活動していた?いつから闘病生活だった?

Kanのアイキャッチ

2023年11月12日、61歳という若さで亡くなったシンガーソングライターのkanさん。

1991年『愛は勝つ』が大ヒットしたのは有名です。

40代以上は、殆どが知っているのではないでしょうか。

そんなkanさんは、『愛は勝つ』以降、どんな活動をして、いつから闘病生活だったのか調べてみました。

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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目次

kanは愛は勝つ以降どんな活動していた?

KANの画像
【出典:KAN officialより】

Kanさんは1991年『愛は勝つ』が大ヒットして以降、どんな活動をしていたのでしょうか。

あまりにも『愛は勝つ』が大ヒットしすぎて、他の活動の話を聞かないような気もします。

まずは大ヒットした『愛は勝つ』ですが、5thのアルバム「野球選手が夢だった。」に収録されています。

1990年テレビ番組「クイズおもしろTV」のエンディング曲に採用されましたが、この時点ではヒットには至りませんでした。

邦ちゃんのやまだかつてないテレビの画像
【出典:邦ちゃんのやまだかつてないテレビより】

しかし翌年の1991年『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の第三期のエンディングテーマに使用されて大ヒット!

シングルは200万枚を超えるセールスを記録、90年代の代表曲となりました。

当然のように、紅白歌合戦にも出場して、1996年には中国・広州の「音楽博覧会」に出演し、『愛は勝つ』を中国語と北京語で熱唱しています。

Kanさんは、中国語とイタリア語の言語に長けていたようです。

1994年に 『日本中国語検定4級取得』

1995年に 『日本中国語検定3級取得

1996年に 『日本イタリア語検定4級取得』

主な活動

▼Kanさんがフランスで入学した『エコール・ノルマル音楽院』

エコール・ノルマル音楽院
【出典:ウィキペディアより】

Kanさんは2002年~2004年は、フランス・パリへ移住しています。

『フランス人になりたい』夢をかなえる為だそうです。

『愛は勝つ』で印象深いピアノを基礎から勉強する為にエコール・ノルマル音楽院に中途入学しました。

帰国後はシングルやアルバムを発表しています。

また、2010年には尊敬するアーティスト「ASKAさん」とのコラボ『予定通りに偶然に(with ASKA)』を発表しました。

ASKAの記事はコチラから

2004年から2023年に亡くなるまでは、Kanさんがパソナりティを務めるラジオ『KANのロックボンソワ』が長きに渡り放送されていました。

kanの家族は

Kanさんは1999年4月に、バイオリニストの早稲田桜子さんと結婚しています。

2人は1997年のコンサートで共演した事がキッカケだそうです。

早稲田桜子さんは4歳からバイオリンを始めて、12歳から国内外で様々な活動をしています。

大学在学中にフランスへ度々渡っていて、2002年~2004年はKanさんと一緒にフランスでの生活を送っていたようです。

▼自宅でバイオリンを弾く早稲田桜子さん

【出典:YouTubeチャンネルより】

2人の結婚はKanさんが36歳の時、早稲田桜子さんが28歳です。

Kanさんが亡くなったのは61歳ですので、早稲田桜子さんの現在の年齢は53歳くらいでしょうか。(2023年時点)

神奈川県鎌倉市のカトリック雪ノ下教会で挙式していて、櫻子さんが毎週日曜日に通っている場所だそうです。

Kanさん自身は通っていた幼稚園が『東田島カトリック幼稚園』で、カトリックが2人の共通だったのかも知れませんね。

また、2人の間に子供がいるいるという情報はありませんでした。

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kanいつから闘病生活だった?

KANの画像
【出典:Xより】

2023年11月17日に報道でKanさんの訃報を聞いて、世代の人はさぞ、驚いたのではないでしょうか。

『癌(がん)』と言う事は報道されていましたが、聞きなじみのない名前でした。

いつから闘病生活を送っていたのでしょうか。

珍しい病気?

Kanさんが患っていたのは『メッケル憩室がん』で、2023年3月に公表しています。

日本では数十例ほどしか症例がないのが特徴で珍しい病気とえるでしょう。

メッケル憩室の図
【出典:Yahoo!ニュースより】

『メッケル憩室』とは、小腸にみられる袋状の突起物。胎児のとき、へその尾と小腸をつないでいた卵黄管が消えずに残ったものを言います。ほとんどの場合、卵黄管は無くなりますが、人口の2~4%くらいの割合で残っているといわれるそうです。 『メッケル憩室』にガンが発生すると、下血や腹痛を伴う事があると言う事です。

【引用:Yahoo!ニュースより】

病気の原因は何だった?

Kanさんの直接の死因は公表されていません。

ただ、Kanさんは尊敬するASKAさんには癌になった事を報告していたようです。

こう強く伝えていただけに、僕には『ステージ4』になった事は伝えづらかったみたい。 昨年11月に『がんになっちゃいました』って報告してきた。 因果関係は分からないですよ。

【出典:ASKA official Web siteより】

ASKAさんのブログの内容からすると癌は『ステージ4』で2022年11月頃には癌が発覚していたようです。

また、癌の治療方法までの情報は分かりませんでした。

日本人の死亡理由で1番多いのは癌です。

死因は公表されていませんが、癌が死因とみて良いのではないでしょうか。

また、癌の原因はなんだったのでしょうか。

【出典:Xより】

また、Kanさんは病気の予防もしっかりと行っていたようです。

世間の声

ASKAさん、ミスチルなどのアーティストにも強い影響力があったのは知りませんでした。

残念ですね。

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最後に

いかがでしたでしょうか。

今回はKanさんの『愛は勝つ』以降の活動と、病気の闘病生活はいつからだったのか調べてみました。

①.Kanさんの『愛は勝つ』以降の活動は、結婚した妻の櫻子さんとフランスへ行ったりと、ずっと音楽活動やラジオのパーソナリティをやっていた。

②2021年11月には癌になった事をASKAさんに報告している事から、それ以降、闘病生活を送っていたと予測できる

③.死因は公表されていないが、ステージ4の癌という事からも、死因は癌だと思われる

④.病気の予防はしていたが、癌の原因は分からない

以上の事が分かりました。

61歳と、あまりにも若すぎるKanさん、ご冥福をお祈りいたします。

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