黒柳徹子さんは1933年生(89歳)※2022年現在 の女優、タレント、司会者、エッセイストです。
『徹子の部屋』は有名で、日本人であれば、その姿を知らない人はいないのではないでしょうか。
その黒柳徹子さん、「年の功」だけあって、ここでは語りつくせない程のエピソードが満載です!
戦前生まれの「生き証人」黒柳徹子さんが、結婚しない理由について又、隠し子がいるとの噂があったようです。
今回は黒柳徹子さんについて少しだけ探っていこうと思います。
ぜひ、最後までお付き合い下さい!
黒柳徹子が結婚しない理由とは

黒柳徹子さんの事については歴史がありすぎて、とても1枚では収まる事が出来ません。
まず、黒柳徹子さんは結婚をしておらず、独身です。
ここでは結婚についてみていきましょう!
中途半端な20代を経験して、とにかくモテた!

黒柳徹子さんは、とにかくモテたらしいです。
自身を振り返り、20代の頃は中途半端な時期で嫌だったと言っています。
少しでも生意気な事を言うと周りからは「生意気」と言われ、分からないと言うと※「カマトト」と言われたそうです。
※~のフリをする意味で“”ウブを装ってる女性の事を表現した言い方
30代になったら嫌だった20代が終わった事で、嬉しかったみたいです。
モテた時期を24歳~33歳くらいと言っていて、30代以降も、モテたらしく、何度か違う人に、結婚を申し込まれたりしたと言います。
結婚や子供に興味がない?

黒柳徹子さんは結婚や出産をしなかった自分に対して、「後悔はしていない」と答えたそうです。
過去にお見合いを3回経験されているそうですので、結婚には興味があったのでしょう。
しかし、何度かあった結婚の申し出を断ってきた事で、全てタイミングなのかも知れません。
結婚、出産しなかったのも自分の人生。
もし、結婚、出産していたとしても自分の人生と思うはずです。
要は、現在までの生き方に後悔を口にしなかった人生なので、素晴らしい理想の人生かも知れません!
黒柳徹子と、劇作家との隠し子がいるって本当?

日本人劇作家との間に隠し子って本当?
黒柳徹子さんには「都市伝説的な話」があるようで、それは「隠し子がいる」という内容です。
黒柳さんには24歳は年の離れた末弟がいて、その弟こそが、「隠し子ではないか?」というのです。
その理由は、黒柳さんの母親が末弟を出産したのは1950年代で47歳。
本人である末弟は航空会社に勤務していたらしく、社内でも噂になったり、彼の家には黒柳さんの写真が飾られていたりしたそうです。
真相はもちろん不明です。
では、隠し子であったなら、その相手は誰? となります。
その相手とは「飯沢匡」氏と言う人物で、劇作家。

1994年に亡くなるまでの40年もの間、2人の関係は続いたと言うものです。
黒柳さんは、何度となく行われた試験を突破して、NHK専属女優第一号になっています。
何もわからない状態で、当然周りからは強く当たられた事もあったでしょう。
その時に心をゆるした相手こそ、「飯沢匡」氏と言う人物だそうです。
ユダヤ人のピアニストとの関係は?

アレクシス・ワイセンベルク(1929年~2012年)とはブルガリア出身のユダヤ人ピアニストです。
この男性と約40年間、遠距離恋愛をしてきたと言うものです。
写真は1982年に来日した時の様子だそうで、とても親密そうな2人が写っています。
『徹子の部屋』やNHKの歌番組に出演し、結婚するのでは? と、噂になったそうです。
黒柳徹子さん、全ての仕事を休んで38歳の頃に1年間、ニューヨークへ行っています。
ニューヨークでは演劇やダンスを学び、振袖を着て社交場へも足を運んだのだそう。
そのありのままの姿の感性で話をしてほしいとにオファーし、日本へ帰国。
『徹子の部屋』の前進となる『13時ショー』の総合司会となりました。
ワイセンベルク氏が2012年に亡くなるまで遠距離恋愛の関係は続いたとされています。
お互いに独身ですし、これが本当であれば純愛を通し、素晴らしい話ですね!
時系列で整理すると
20代 ・初めてのNHK専属女優となり、右も左もわからないまま、がむしゃらに前へ進む。
20代 ・モテたので、お見合いの話も何度かあったが、結婚するタイミングではなかった。
30代 ・お見合い以外にも心を惹かれた人もいた。例えば「飯沢匡」氏など。
30代 ・仕事に恋愛に疲れて、このまま何も知らなくて良いのか? もっと勉強もしたい!
38歳 ・ニューヨークへ勉強に行く。この間にワイセンベルク氏と出会う
39歳 ・帰国
※上記の時系列は、今ある資料などを基にした筆者の仮説になります。
もし、隠し子説が本当だとするのであれば、ニューヨークへ行ったでしょうか。
不明な事が多く、真相は分かりません。
黒柳徹子とは?

黒柳徹子さんの象徴ともいえるパンダのぬいぐるみ。 戦火が飛び交う空襲時にもパンダのぬいぐるみを持って逃げていたそうです。




20代の頃はカメラマンになろうと考えていた時期もあったそうです。 カメラに夢中になり、現在でも一眼レフを数台もっているそうです。

右手にフリスビーを持ち、左手には芝生の上に敷くシートを持った写真。

アパートから近かったセントラルパークへは自転車で毎日行っていたそうです。

ニューヨークに住んでいた自宅のワンルームで友人への食事をふるまった後の、片付けをしている様子を撮った1枚

ニューヨーク5番街で撮った1枚。この写真は黒柳さんのお気に入りの1枚で、イースターパレードに参加した際に撮ったのだそう。 着物は当然めずらしく、人だかりができて大変な事になったのだと言います。 翌日には新聞にも掲載されたらしく、ニューヨークでも活躍されていたのですね! 着物は東京の古着屋さんで、母親がニューヨークへ立つ前に購入した、結婚式用の振袖との事。
最後に
いかがでしたでしょうか
今回は誰しも知っている黒柳徹子さんの結婚の話と、ご本人の事を少しだけ探ってみました。
前述しましたが、黒柳徹子さんは歴史がありすぎて、この記事内容だけでは到底おさまりません。
またの機会に違うネタで迫ってみたいと思います。
それでは今回はここまでです。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!

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