俳優・歌手・タレントなど、さまざまな顔を持つ松平健さん。
世代によって松平健さんのイメージが違うと言う人も多いかも知れません。
筆者である私の印象は「暴れん坊将軍」一択の印象です。
なので、他の時代劇に出演すると『実は将軍様じゃなかったっけ!?』と、脳内パニックが起こります。
そんな松平健さん、若い頃はかなりのイケメンなんです!
今回は、松平健さんの若い頃が『まるでジャニーズじゃないか』と言わんばかりのイケメンぶりなどを紹介します。
ぜひ最後までお付き合い下さい!
松平健がジャニーズのようなイケメンの若い頃!

2023年11月28日時点で松平健さんは、70歳を迎えます。
年齢を重ねてもカッコ良さは健在で、 “威風堂々とした佇まい(たたずまい)” は、永遠の将軍様という印象しかない筆者のイメージです(笑)
現在でもこんなにカッコイイんですから若い頃は相当なカッコ良さだったのだと想像できます。
ふと検索してみると「ジャニーズ」の文字が。
松平健さんがジャニーズ?
そんな訳はないと思いながら調べて行くと謎が解けました。

松平健さんの若い頃が、同じく「若い頃の長瀬智也さんに似ている」と思っている人がいるということでしょう。
長瀬智也さんと言えばジャニーズです。(2023年以降はスマイルアップ)
顔の彫が深いようで、爽やかな顔立ちに全てを見透かされているような、眼差し。
若い頃は、相当カッコ良かったのではないでしょうか。
筆者が小学生の頃、親が毎週のように「暴れん坊将軍」を見ていて、松平健さんは「上様」の顔の印象しかありません。
松平健さんの若い頃は分からないのですが、そんな暴れん坊将軍も1978年~2002年にかけて15年間もやっていた時代劇。
放送初期の松平健さんは35、36歳頃で十分若かったんですね。
そんな暴れん坊将軍の初期の若さに溢れ、少しギラギラしているようにも見える松平健さんがコチラ

暴れん坊将軍は初期の頃に「吉宗評判記」というサブタイトルが付いていたんですね。
この頃の松平健さんをると、本当に若い頃の長瀬智也さんに似てる!
並べると、画像の頃の松平健さんが相当若いのが分かりますね。

更に若い頃は本当にイケメン!
これで石原プロに入れなかったなんて、信じられないです!
更に松平健さん、デビュー間もない頃の画像もありました。
松平健さんはデビューが1972年でテレビドラマ「マドモアゼル通り」
この時期に現在の芸名に改名したということです。
当時1972年バレーボールの日本代表監督として金メダルへ導いた「松平康隆さん」と「松平健」さんが由来していると言われています。
1974年には「勝慎太郎」主宰の「勝プロダクション」に入り勝氏の付き人を務めながら、勝氏が主演のドラマ「座頭市物語」に出演などを経験します。
そんな松平健さん、高校中退後に寿司職人となったそうですが当時、憧れていた俳優がいたそうです。
松平健は石原軍団に憧れてた?

高校中退後、寿司職人となった松平健さん。
1963年 石原プロの『太平洋ひとりぼっち』を17歳頃に映画でみて、冒険しなければいけない!
と思い立って俳優を志したそうです。
憧れとしていたのは「石原裕次郎さん」で、1970年に上京。
当時は雑誌などに住所が掲載されていたそうで、直接石原裕次郎さんの自宅へ訪ねて行ったということです。

「石原プロモーション」に入社を直訴するも『現在は募集していない』と叶わず、宝映テレビプロダクションへ入団します。
そこでの芸名は松本二郎、同僚に「稲川淳二さん」がいたそうです。
令和4年6月に法人格が消滅している「石原プロ」ですが、設立は1963年。
1963年 太平洋ひとりぼっち
1966年 栄光への挑戦
1968年 黒部の太陽
1969年 栄光への5000キロ
※一部抜粋
1967年~1969年は一時的に石原プロの経営が潤った時期です。
松平健さんが石原プロに憧れたのは、丁度この時期ですね。
石原プロは、収益を自社の映画製作の膨大な製作費に充てていた状況で、映画産業そのものの衰退時期のあおりを受け、8億円近い負債を追ったと言われています。
会社存続が危ぶまれた時に、石原裕次郎さんを慕って渡哲也さん他の俳優が所属するようになり、テレビへ進出していく事になります。
石原プロがテレビへ進出してから刑事ドラマ『太陽にほえろ!(1972年~1986年)』にも松平健さんは新人刑事役テストに行っていたそうですが、残念ながら実現していません。
[宮内] 身長は180cm以上が基準だったから、誰がテスト受けているか大体分かるんだよな。 それでゴリさん(峰雷太)やヤマさん(露口茂)と、『あれがいいこれがいい』って言い合ったりするんだ。
[木ノ元] 僕がでている時に「松平健さん」も来ていました。 実現すればサンバ刑事だったんでしょうか。
[宮内] 当時、松平さんと飲んだけど、岡田晋吉プロデューサーが求める青春の荒々しさは、彼には無かった。やはりロッキーの方が目立っていたよ。
【引用:Asagei plusより】
▼ロッキー刑事

当時は “青春の荒々しさが求められていた” のですね。
確かに松平健さんは若い頃から威風堂々としたイメージですが、本当はどうだったのか気になります!
もし実現していれば現在の立ち位置とは、違った活躍をみせていたのかも知れませんね。
石原裕次郎さんは52歳の若さでご逝去されていますが、刑事ドラマに出ていた頃は40代。
とても貫禄があり、それこそ “威風堂々とした佇まい” でしたね。
当時の松平健さんは、石原裕次郎さんに憧れていたと言う事ですが、特に石原軍団になりたかったと言う事ではなさそうです。
▼左/40代の石原裕次郎 右/松平健

松平健さんは暴れん坊将軍などを経験して、現在は雰囲気が何となく石原裕次郎さんのようにも見えなくもないかなと、思ったりします。
最後に
いかがでしたでしょうか。
今回は松平健さんの若い頃を少し探ってみました。
ジャニーズと言っても過言ではない程のイケメンでしたね。
①.松平健さんは若い頃、ジャニーズと言ってもおかしくないくらいのイケメンだった
②.松平健さんはデビュー当時、石原裕次郎に憧れていたが石原プロに所属できなかった
③.松平健さんは若い頃、石原プロの『太陽にほえろ!』の新人刑事役のテストの応募に行ったが実現しなかった
以上の事が分かりました。
松平健さんが当時、石原プロに所属していれば「暴れん坊将軍」はやっていなかったと思うと、結果的に良かったのかも知れませんね。
まだまだ今後のご活躍も期待しています!
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